2005年
広島戦でプロ初登板初勝利
プロ野球新時代を担うニューヒーローが誕生した。日本ハムのダルビッシュ有投手(18)が、連続被弾し惜しくも9回途中に降板したが、広島相手に9安打2失点で初登板初勝利を飾った。高卒ルーキーとしては、99年の西武松坂以来12人目となる快挙だ。故障で出遅れ、喫煙問題で謹慎処分を受け、華やかな甲子園時代とは一変した厳しい道のりだったが、「尊敬されるプロ野球選手に」の誓いを込めて、116球を投げ抜いた。改革元年の目玉であるセ・パ交流戦の最終カードで、堂々のデビューを果たした。
スタンドの悲鳴とは対照的に、マウンド上のダルビッシュは苦笑いしていた。プロ初登板初完封の快挙まで、あと3アウトと迫りながら、新井、野村に連続被弾した。ヒルマン監督が投手交代を告げると、またブーイングが起きた。それでも初勝利は間違いない。「一番うれしい勝利でもあり、一番悔しい勝利」。ただ、納得していた。
遠回りした分、喜びは大きかった。2万4375人の大歓声を受け、初めてお立ち台に上がった。「自分はいろいろ迷惑をかけたのでファンの皆さん、選手の皆さんにいつか返したいと思っていた」。初登板でいきなり謝罪した。
動じなかった。初回、先頭の福地を投ゴロに仕留めると波に乗った。カーブ、スライダー、シンカーと多彩な変化球でほんろうした。「試合直前に投げてみようかなと」。中2のころに覚えたシュート回転を微妙にかけた直球を思い出した。試合で初めて投じた。「ピンチのときこそ冷静に力を抜こうと思った」。3、4、5回と走者を塁に出すが、その球でともに併殺で切り抜けた。
力投するルーキーに打線も5回までに大量7点を奪い援護した。チームにとっては大きい勝利だった。投手陣のエース格、ミラバル、金村がけがで離脱。待ちに待った新人をヒルマン監督は「素晴らしい投球。まったく文句のつけようがない」と評した。
歩み始めたプロの道は平たんではなかった。険しかった。1月の新人合同自主トレ初日に右ひざ関節炎が発覚した。水がたまっていた。父ファルサさん(45)はイランからプロサッカー選手を目指して米国に留学したが、けがで断念した。18歳、そして患部は右ひざ。水がたまった。まったくダルビッシュと同じ症状だった。
父が夢を断念したひざの負傷。キャンプでも「焦りはない」とダルビッシュは言い続けた。プロに入って野球が出来ない。高校2年から右肩痛の不安があった。「もう投げられないんじゃないか」とも思った。別メニューを続けていた2月沖縄キャンプでは喫煙の不祥事で無期限の謹慎処分が下された。3月には藤井仙台市長が「(楽天イーグルスに)ダルビッシュが入らなくて良かったと思う」との批判された。球場から寮に向かう途中の坂道でファンから厳しいやじも飛んだ。「自分のやったことが悪い」と言い続けた。野球に集中した。フォームなど図解入りの日記をつけ始めた。プレーで謝罪することだけを考えた。
試合後、ウイニングボールを渡された。「スタンドに投げようかと思ったんですけど、お父さんが泣くので」と笑った。その父に「今まで育ててくれてありがとう」とお立ち台から感謝の言葉を初めて口にした。18歳の初勝利は西武松坂に並んだ。交流戦にさっそうとニューヒーローが誕生した。
(05年6月16日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)