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管理人から


連載・怪腕ロード

序章(1)

野球やってなければオタク

 日本ハム・ダルビッシュが04年12月17日、誕生した。母郁代さん(46)は感慨深く、その知らせを大阪・羽曳野市の自宅で聞いた。息子の門出の日、子供のころの顔を思い浮かべた。18年前の86年8月16日、自宅の隣町、松原市の病院でダルビッシュは産声を上げた。52・5センチ、3300グラムの標準的な赤ちゃんだった。世界でもすぐに覚えられる「YOU」をとって「有」と名付けた。

 父ファルサさん(44)はサッカー選手。米国のエカード大に留学し、北米リーグでプレーすることを夢見ていた。「勉強してサッカーをして、大学の喫茶店で働きました」と父は言う。79年、イランで革命が起き、翌年イラクとの戦争が始まった。夢をあきらめた。当時、1年間米国へ留学していた郁代さんと出会い、日本へ移り住んだ。結婚して5年後に生まれたのがダルビッシュだった。

 2人の宝物だった。当時、2人で英会話学校を切り盛りしていた。2歳から保育園に預け、家計をやりくりした。息子はやや細長い体形ながら、ミルクをよく飲んだ。好き嫌いもない。「1歳になったときには3歳児の平均ぐらいまで成長していた」と郁代さん。1年で95センチに達した。

 静かで手のかからない子だった。部屋での1人遊びが好き。レゴブロックで1日中遊び続けた。当時ファルサさんは三宮市のクラブチームでサッカーを続けていた。息子をよく連れていったが、サッカーに興味を引かれることはなかった。「サッカー選手にしたかったようですね。でも有が本当に興味がなくて、夫は残念そうでしたよ」(郁代さん)。

 今でもダルビッシュはマイペースだ。自宅に帰ったときは外出せず、部屋で本を読んでいることが多い。野球の本と小説が好きだ。そんな息子に母は言った。「あんた、野球をやってなかったら、ただのオタクだよ」。そんな一途な少年が父の夢に反して、野球ボールを握ったのは7歳のときだった。

(04年12月18日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)



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