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管理人から


連載・怪腕ロード

序章(2)

原点は自宅前の「中村さん家の壁」

 野球との出会いは「運命に導かれるように」と、いうわけではない。普通の7歳の少年が友達と誘い合って野球チームに入ったのがきっかけだった。しかし、練習の厳しいチームにとけ込めず、1年で辞めてしまった。ただ、野球は好きだった。見かねた両親が練習が土、日曜だけの違うチームを見つけた。マイペースなダルビッシュにチームはマッチした。

 練習時間が少ないため、逆に野球がしたくなった。自宅前の「中村さん家の壁」が練習場だった。学校から帰り、ふらりと壁に投げ込む。1時間もすると部屋に帰り、静かに本を読んだ。また、1時間後には家を飛び出し、壁に向かって投げた。たまに母郁代さんともキャッチボールをした。4年生になると母がギブアップした。「速いというよりも、威圧されるような球で怖くなりました」と母は言う。

 恵まれた身体能力が開花していった。小学6年で身長は160センチを超えた。中学1年でボーイズリーグのオール羽曳野に入団。エースとして全国8強に貢献した。それだけではない。球速が144キロを記録したのだ。中学3年の8月には日本代表として世界少年野球選手権に出場し、1勝を挙げた。この大会で米大リーグ・エンゼルスが興味を示すという異例の事態に発展。世界の野球関係者に知られる存在となった。

 秋には福岡で行われたエンゼルスの入団テストに推薦され参加した。第2次選考は約30人中、もう1人中学生がいた。ただし関係者の親類で記念受験。30人に高校生すらいなかった。大学生と社会人の打者6人を相手に、2安打を打たれたものの最速138キロをマークし、三振も1つ奪った。エンゼルス関係者からは「素晴らしい素質。将来が楽しみ」と絶賛された。

 評判を聞きつけた全国の高校から声がかかった。ダルビッシュ15歳。初めての進路の決断は、意外な場所だった。

(04年12月19日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)



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