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管理人から


連載・怪腕ロード

序章(7)

初の甲子園挑戦はケガとの戦い

 初めての甲子園のマウンドは02年3月26日。相手は浜名高(静岡)だった。その4日前、ダルビッシュは負傷していた。ファンに引っ張られ脇腹を痛めたのだ。決断した。投球をセーブする-。

 速球を抑え、変化球を多投した。横滑りするスライダー、沈むシンカーを効果的に使った。浜名高を2-1で下し、ダルビッシュは奪三振7、4安打無四球で完投した。甲子園デビューは派手に見えたが、痛みに苦しんでいた。「7回から息苦しくなった。脇をかばってフォームが不自然になり力が入らなくなった。延長だったら投げられていられたかどうか…」と漏らした。甲子園の初勝利を喜ぶという心境ではなかった。

 翌日、痛みが止まらなかった。大阪・羽曳野市の外科医と整骨院で痛めていた右わき腹の検査を受け、右棘下筋(きょっかきん)痛で全治2週間と診断された。29日には打撃練習中に背中に死球を受けた。痛みが強く残った。練習も別メニューで3回戦を待った。30日、花咲徳栄(はなさきとくはる)高との試合は信じられない結末を迎えた。

 先発したが万全には程遠い状態だった。球速は137キロと自己最速に10キロも及ばない。6回までに被安打12、9失点。投球フォームがばらつき初戦はゼロだった四球もこの日は3つ。まったくいいところなく、6回KO。甲子園の最初のチャレンジは1勝1敗。試合後、人前で珍しく出身の大阪弁を使った。「夏に向けてもういっぺんやったろ、って気持ちです」。

(04年12月24日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)



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