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管理人から


連載・怪腕ロード

序章(8)

意識が変わり体も変えた

 2年生の春、ダルビッシュは初めての甲子園で空前のフィーバーを巻き起こした。初勝利も飾った。ただし、右脇腹を痛め、花咲徳栄(はなさきとくはる)戦では9失点、6回KOという屈辱も味わった。仙台に帰ったダルビッシュは黙々とトレーニングメニューにこなす。嫌いだった筋力トレーニングも「センバツが終わって必要なことだと感じるようになった」と意識に変化が表れた。

 そのトレーニングメニューを作成したのは東海大スポーツ医学研究所の田中誠一教授だ。76年モントリオール五輪で日本女子バレーボールチームのトレーナーに就任。金メダルをもたらした。器具を使わず、選手2人1組で負荷をかけ合う独自のトレーニング方法は体を変えていった。体重は76キロから82キロまでアップした。

 ダルビッシュのことを「練習嫌い」という人もいる。そういった周囲の声に野球部の若生正広顧問(54)はこう反論する。「彼は腹筋1000回やれと言ったら1000回やる。それ以上は絶対にやらない。他の選手は3000回やってしまうヤツもいる。ただね、必要以上にやるとけがにつながる。ダルビッシュは自分を知っている。頭がいい子なんだよ」と評した。

 復活したエースは再び、勢いを増した。県大会は順調に勝ち進んでいく。準決勝の気仙沼向洋戦では5回コールド勝ちをおさめた。大会記録を34年ぶりに更新する11連続奪三振を記録。公式戦初の無安打無得点、13三振を奪った。決勝では過去3連敗中の仙台育英が相手だった。苦心しながらも完投勝ちした。10年ぶりに夏の甲子園出場を決めた。ナインに迎えられるダルビッシュは笑顔だった。ただし、もう1つの「敵」が襲い始めていた。持病の腰痛だった。

(04年12月25日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)



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