序章(9)
決して見せぬ弱み
2年の夏、2度目の甲子園に向かった。春はわき腹痛でKOされた。「今度こそ」とリベンジを期したが、今度は腰が悲鳴を上げていた。春の悔しさから厳しいトレーニングを課した。オーバーワークだった。打撃練習でも右では「痛みが腰にくる」と左打席に立つこともあった。投球練習もキャッチボール程度。「大事な時にまたか…」と天を見上げた。
歯を食いしばり、初戦の筑陽学園(福岡)戦のマウンドに上がった。自己最速タイの149キロをマークし、3三振を奪う。しかし、限界に達していた。2回にバント処理をお手玉するなど、バランスを崩していた。焦りもあった。2失点。この回で突如降板した。11-6で試合には勝ったが、「ガラスのエース」というイメージをぬぐうことができなかった。
エースとしての責任。あらためて自分を奮い立たせた。「オレはけがなどしていない」と言い聞かせた。2回戦の近江(滋賀)戦、相手に弱みを見せなかった。腰をトントンとたたく動作をやめた。ムダな笑顔も見せない。相手に10安打を浴びながら、粘った。5回終了時に若生正広監督(54=現顧問)に「代えないでください」と直訴した。あまり見せない強い意志表示に若生監督はたじろいだ。3-1で近江を下すと、ヤマ場を迎えた。
平安(京都)との3回戦だ。2年生エースの対決。大会屈指の左腕、服部大輔投手と対決は死闘になった。シンカーとスライダーで三振の山を築くが、打線も服部を崩せない。0-0で延長に入った。限界が近づいていた。「終わらせてくれ」。11回裏2死1、2塁、ダルビッシュの悲痛な願いを聞いた加藤政義三塁手が、左翼前にサヨナラ打を放った。154球、被安打2、15奪三振で完封。チームは18年ぶりの8強に入った。優勝旗が「白河の関を越える」と、地元が異様な盛り上がりをみせはじめた。
(04年12月26日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)