序章(10)
片岡主将の言葉に怪童も泣いた
「大旗の白河越え」が現実味を帯びてきた。2年生の夏の甲子園、準々決勝で光星学院(青森)を2-1で下す。この日、6回から救援したダルビッシュは、腰痛に耐え3回1/3を無失点で抑えた。これで連続無失点記録を22回1/3に伸ばした。そして佐々木主浩投手(横浜)を擁した85年の8強も越えた。しかし、大きな代償を負った。ヒーローインタビューのお立ち台で座り込んだ。立ち上がれなかった。右足すねに痛みを訴え、病院に急行。過労性骨膜炎という診断を受けた。
翌日の準決勝、江の川(島根)戦のマウンドにダルビッシュの姿がなかった。同級生の2人の投手が踏ん張る。初登板の采尾(うねお)浩二、真壁賢守のリレーで6-1で勝ち上がった。決勝はこの試合で引退する名将、木内幸男監督が率いる常総学院(茨城)が相手。仲間たちが立たせてくれた決勝のマウンドで、死力を尽くした。「最後くらい9回まで投げたい」。12安打を浴びた。4失点。気力だけで投げた。
2-3で迎えた8回には、自らのボークに味方の失策も加わり致命的な1点を献上した。直球も最速でも140キロにとどまった。ベンチを戻るたびに若生正広監督(54=現顧問)から体の状態を聞かれた。「大丈夫です」。ただ、一言だけ答えた。2-4で試合は終わった。大きな夢はまぼろしと消えた。
ダルビッシュは懸命に涙をこらえた。グラウンドを去るとき、3年生全員に頭を下げた。「感謝」と「エースの責任」を果たせなかったことをわびた。そんなダルビッシュに片岡陽太郎主将(3年)が静かに言った。「お前が東北に来てくれて、本当によかった」。さすがの怪童もあふれ出る感情をこらえきれなかった。泣いた。
(04年12月27日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)