序章(11)
マイペースぶりに部員の不満爆発
2年の夏の甲子園が終わった。3年生が引退し、ダルビッシュは主将になった。10月の東北大会では志願の連投でチームを2年連続15度目の優勝に導いた。強打の東海大山形を3-1と寄せつけなかった。センバツ出場も確実となった。これで3季連続の甲子園。ただでさえ、注目の17歳に視線は集まった。人気に歯止めはきかなかった。
小学校からクラスの委員にもなったことがない。目立つことが嫌い。クラスメートから「ノリの悪いヤツ」とも言われた。それでよかった。教室の窓側の席で目立たないでいることが何よりも好きだった。母郁代さん(46)は「普通の子よりも注目されるのが苦手なんです。人から囲まれると、どんどんウチにこもっていくナーバスなところがあるんです」と話した。
いら立ちが募っていった。抑えていたものが神宮大会で爆発した。くしくも後に日本ハムでチームメートになる鵜久森淳志が在籍する済美(愛媛)との対戦だった。7安打で7失点、自身初の7回コールド負け。試合後に「真ん中でもボールと言われて苦しかった」と思わずコメントした。この発言を日本高野連が問題視し、学校に対し異例の厳重注意が科された。
今度はチーム内から批判を浴びた。大会後、別メニュー、私生活もマイペースのダルビッシュに部員の不満が爆発した。6時間、部員と話し合った。そこで何かが吹っ切れた。主将として何をすべきか考えた。年末、長期休暇中でも最後まで寮に残った。帰省を遅らせ、1人ずつ話し合った。チームになじめず退部を決意した1年生とは1対1で話し、励ました。真剣な思いは伝わった。野球を続けることを約束してもらった。主将ととしての自覚が人間の幅を広げた。帽子のツバに書いた文字には主将としての気持ちが表れていた。「チームのために」。心からそう思った。
(04年12月28日付、日刊スポーツ紙面北海道版から)