体作った「せんじ揚げ」と「お菓子」
<連載『怪物』北へ(2)>
怪物が最も恐れる人物が広島にいる。「広島鯉城シニア」のGM的存在である国吉和夫事務局長(53)だ。中田は今でもその名を聞くだけで「えっ」と絶句して表情が曇る。厳しい指導を受けたようだが、この人物が中田を「怪物」に育て上げたといっても過言ではない。
小学2年の秋に入部した中田少年は何点かの訓示を受けた。その1つに食べることがある。同事務局長は言う。「子どものころは、とにかく何でも食べさせるべきだ。お菓子でもいい。1時間後にご飯だから、ではなく、おなかがすいたら、すぐに食べる。それが体作りになる」。母香織さん(42)にもそう伝えた。食欲には自信のあった中田にとって願ったり。1日で5、6食を食べることはザラだった。
母は食卓の上にいつでも食べられるように「せんじ揚げ」という広島名物を置いた。ホルモンを油で揚げたもので、歯ごたえ十分。中田はよく食べたが、もっと夢中になったモノがあった。「近所の駄菓子屋で、お菓子ばかり食べていた。あのとき、好きだったのはベビースターラーメン。何袋も食べたなあ。あとうまい棒(棒状のスナック菓子)にもハマった」。これには国吉事務局長も苦笑した。「本当はオニギリなんかが良かったけど、『お菓子がいい』と思ってしまったようだ」。
怪物の中身はまさかの「お菓子」? もちろん体格は良くなった。学年では常に1級上には見られた。食べるだけではない。徹底した走りこみがチームの方針。中田が思い出すのも嫌な練習だった。「スパイクの点検で磨いてなかったら、100周走る。ランニングがそろわないから、ベースランニング70周というのもあった」。礼儀作法やチームワークの意識を植え付ける側面もある。そして体力は日増しについた。
小学4年時には100メートルの飛球を放つほどになったという。信じがたい話だが、佐古監督は驚きを隠せなかった。「あれだけ飛ばすものか」。太田川の河川敷はもう狭かった。打って三塁に走った少年は、飛躍的な成長を遂げる。怪物の原型ができつつあった。
[2007年10月5日 紙面から]
