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中田翔特集



中傷さえ受け入れる怪物の大きさ

<連載『怪物』北へ(5)>

 怪物中学生をめぐる争奪戦は意外にも起こらなかった。中学入学まもない時期に事実上、決定したからだ。広島鯉城シニアの国吉事務局長は中田を任せられる高校の条件を複数挙げていた。「気が緩む部分がある翔の性格を考えると、厳しい環境に身を置いた方がいい。自分よりも実力が上だと思わせる先輩がいるチーム。限定した人数でしっかり選手を育ててくれるところがいい」。この条件をクリアしたのが、大阪桐蔭だ。部員数も1学年平均20人程度。中田が右ヒジを痛めた時も1年間投手起用しなかったように、勝利至上主義でなく、大きく育てる方針もポイントだった。

 ただ同事務局長は誰にも心中を明かさなかった。それでいて勧誘に来る関係者に期待を持たせず断りを入れる。「こんな学校も来ているのかと知ると、本人がテングになってしまうから」。大阪桐蔭の西谷浩一監督(37)が中学2年時に注目したが、すでに自分の学校が選ばれているとは気づくはずもない。中田はシニアの先輩がいる他県の高校を進学先に考えていたが、ようやく最終学年になってから大阪桐蔭を勧められる。「名前も全然知らなかったけど、大阪がレベルが高いと聞いたので…」とすんなり進学先を決めた。信頼する恩師のアドバイスに迷うことはなかった。

 自分の運命を素直に受け入れる器の大きさが、中田にはある。日本ハムに指名されたときも「どんどん遠くなっていきますねえ。北海道に1人で行けるかな?」と豪快に笑った。少年時代の約束がそうさせるのか。「プロ野球選手になって、楽にさせるから、待っていて」。女手1つで育てた母香織さん(42)は何度もこの言葉を耳にした。

 その能力ゆえに、妬みや中傷もあった。1年冬には退部のうわさが流れた。憲章違反の特待生、と報じた週刊誌もあった。事実と違うため反論してもおかしくないが、中田は気にするそぶりを見せなかった。「全然気にならないんです。『広島の学校がどこもとってくれなかったから、大阪に行った』と言われたこともある。雰囲気が怖いと思われるのは、困るんですけど…」。嫌な表情を浮かべるでもなく、冗談めかした。

 すべてを受け入れる。これが怪物の大きさだ。大阪桐蔭では2学年上に辻内、平田という大先輩がいた。激戦区の厳しさを知り、2年夏の大阪大会決勝では優勝に涙した。1度も打てなかった金光大阪のライバル植松の存在。右ヒジ痛の挫折もあった。喜びも悲しみも肥やしに、中田はさらに輝きを放った。188・41メートルの仰天アーチ、高校最多とされる通算87本塁打。「記憶」と「記録」で人々を驚かせた3年間だった。

 広島から大阪、そして北海道へ。これまでが怪物ストーリーのプロローグ。いよいよ本章が始まる。(おわり)

[2007年10月4日 紙面から]



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