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内藤大助特集



内藤語録

●勝利者インタビュー

 試合後、内藤の勝利者インタビュー「まず、応援してくれたお客さん、ありがとうございました。勝ちという結果、亀田に勝ったという結果を素直に喜びたい。思った以上に対戦した大毅選手はやりにくかった。ただ、前回対戦したポンサクレックより…全然弱かったです。『内藤有利』といわれ、プレッシャーはありました。出来はイマイチでした。勝てて良かった。亀田に初黒星をつけて国民の期待に少しはこたえられたと思います。今はゆっくり休みたい。ファンの皆さんのおかげで頑張る力が沸いてきました。ありがとうございました」。

●ひゅるりら~

 内藤が07年8月22日、ラジオの収録で、歌声を初披露。ミラーボールまで設置したスタジオ内の仮設ステージで、初防衛戦の相手・大毅の熱唱パフォーマンスに対抗した。歌ったのはケツメイシの「さくら」。「ヒュルリーラ、ヒュルリーラ…」と口ずさむ声は最後まで自信なさげ。テリー伊藤に「カラオケの腕前は挑戦者」とダメ出しされて一言。
 「カラオケ教室に行く! 大毅戦まではボクシングに集中するけど、それが終わったらカラオケの練習をする」。

●オレの18歳の時…

 内藤が「金メダルトレーニング」07年8月24日、長野・車山高原で合宿を開始。同地は女子マラソンの高橋尚子が、無名時代に猛特訓を積んだ場所。Qちゃんが金メダルの脚をつくった地で、激走して一言。
 「(挑戦者・亀田大毅と同年齢の)18歳の時、オレは童貞だったもんな。大人と子供の戦い。負けられねえなあ」。対戦相手の大毅は、成長期の18歳で年の差は15。

●国民的アイドル?

 07年8月22日、世界戦決定後では初の会見をした内藤は一言。
 「僕が亀田にKOして勝つ。国民の期待を背負うつもりで頑張りたい」。

●大毅の印象は

 07年8月22日、世界戦決定後では初の会見をした内藤は一言。
 「何かいつもニヤニヤしてますね」。

●大毅の発言にムカッ

 07年8月22日、世界戦決定後では初の会見中に「オレと試合ができるように準備だけしっかりしとけ」との大毅のメッセージを聞いて内藤は一言。
 「相変わらずアホですね。それ、チャンピオンの発言でしょ。やはり勘違いが一番怖い」。

●大毅人形は

 07年8月22日、世界戦決定後では初の会見中に「大毅人形の使い道」を聞かれ内藤は一言。
 「家の玄関に飾って、魔よけにします」。

●ついに実現

 07年8月16日、大毅との初防衛戦が正式決定し「亀田の日本人初対決は、自分もファンも待ちに待ったカード」。

●夢は…

 内藤が07年8月10日、故郷の北海道庁を表敬訪問した。高橋はるみ知事に報告後に一言。
 「いっぱい、いっぱい、故郷の名前を売りたい。宮崎の東国原知事のように、トップセールスマンになりたい」。

●何でだ~

 内藤が07年8月6日に大毅に対しての不満をポロリ。
 「何で内藤といつも呼び捨てなんだ」と爆発。ただし、「ボクシングでは負けないが、カラオケは弟子入りしたい」とも。

●消える「魔拳」

 内藤が07年8月1日、すでに対大毅戦仕様の「パンチ」も開発。亀田家への「逆口撃」解禁も宣言した。
 「亀田兄弟と日本人の初対決ですからね。ポンサクレック戦では出すのを忘れちゃったから。今度は大毅用に『見えないパンチ2』を出します。もう完成して、これから磨き上げる。まあ楽しみにしてください」。

●ゴキブリ最強

 07年7月29日、大毅が内藤への挑戦を視野に入れたことに関し「兄弟どっちでもいいが、兄の方が強いからね。史郎さんは自分をゴキブリと言ったけど、地球が滅んでも最後に生き残るのはゴキブリですよ」。

●ボクシング界のために

 07年7月19日、王座奪取から一夜明け、亀田興毅との対戦意思を問われ「ファンは見たいカードだと思うし、僕自身も見たい。ボクシング人気を盛り上げるためにも対戦したい」。

●誰これ?

 07年7月18日に無敵王者ポンサクレックから奇跡の勝利を挙げた。
 「コンビニでスポーツ新聞の1面を見てウォーと思った。店員さんに新聞を見せて『誰これ?』と驚かせたらびっくりしてました」。

●「昭和的な」行動に人柄の良さが…

 奇跡が起きた。内藤が17連続防衛中の同級王者ポンサクレックに3―0の判定勝利を収めた。02年4月の初挑戦でわずか34秒のKO負けし「日本の恥」といわれた。3度目の挑戦で無敵王者に打ち勝ち、世界王座奪取に成功。判定を聞いた内藤は…
 右のほおをつねった。すぐには現実を受け入れられなかった。
 「夢じゃないかと…。勝っているかどうかは分からなかった。夢中でした」と号泣。

●お願いです

 07年5月31日、ポンサクレックの3度目挑戦決定も約4000万円の経費を用意できず「ファイトマネーはゼロでいい。リングに上げてください」と、スポンサー募集会見も兼ねた。

●リベンジだ

 05年10月10日、2度目の世界挑戦で負傷判定の不運に泣いて「日本人はキャリア不足。キャリアさえ積めば世界王者になれる」。

●ご指名

 05年8月17日、ポンサクレック再挑戦の発表会見にて「僕が勝ったら亀田選手を対戦相手に指名したい」。王者にリベンジを果たせば、挑戦者に亀田興毅を指名すると宣言した。

●亀田を挑発

 05年4月11日、判定勝ちで日本王座2度目の防衛に成功。「ケンカファイトをやりたい」と同級10位(当時)の亀田興毅との対決を熱望した。

●頭の中が真っ白に…

 02年4月19日、当時の王者ポンサクレックに世界初挑戦も、日本ジム所属選手の世界戦で最短の34秒KO負けし「何も覚えていません。すいません」。



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