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内藤大助特集



内藤大助とは

内藤大助

内藤大助(ないとう・だいすけ)

 1974年(昭和49)8月30日、北海道豊浦町生まれ。96年10月プロデビュー。02年4月に日本人の世界戦最短となる1回34秒KO負けするなどポンサクレックに2度敗退も、3度目の正直で撃破。通算成績は31勝(20KO)2敗2分け。163センチの右ファイター。家族は真弓夫人(34)と長男亮くん(1)

◆実家  豊浦町内で母道子さん(65)が民宿を経営。ファイトマネー1000万円(推定)の一部で、民宿を改築し「内藤記念館」をつくる計画を立てている(07年9月13日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆自称  「最短男」。04年10月11日の日本フライ級タイトルマッチ10回戦で、同級4位の小嶋武幸に開始24秒でKO勝ち。1回24秒は日本タイトル戦での最短KOタイム。65年6月に元世界スーパーライト級王者の藤猛(リキ)がマークした45秒を39年ぶりに塗り替えた(04年10月12日付、日刊スポーツ紙面北海道版より抜粋)

◆後援会  98年に「内藤大助選手豊浦後援会」が発足。応援ツアーは02年4月20日の世界初挑戦以来、07年10月11日の防衛戦で11回目になる(詳細は豊浦町役場ホームページhttp://www.town.toyoura.hokkaido.jp/)。07年8月9日には祝勝会を豊浦町で開催。内藤も世界戦後初の凱旋(がいせん)帰道として出席した(07年8月17日付、日刊スポーツ紙面北海道版より抜粋)

◆決意  中学時代にいじめを受けたことがきっかけでボクシングに目覚める。中学2年の春から、いじめグループに集中砲火を浴び、顔以外の体を殴られ、給食を取り上げられたことも。時計など貴重品も強奪された。豊浦高卒業後、離婚して埼玉で暮らしていた実父の経営する会社に勤めてボクシングを始める(05年10月10日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆受賞  06年8月31日に豊浦町から町民栄誉賞を受賞。2冠王者の功績と同町の名を全国に広めたとして、6月に制定されたばかりの同賞の初受賞者になった(06年8月12日付、日刊スポーツ紙面北海道版より抜粋)

◆ものまね  日本王座2度目の防衛戦で、お笑い芸人の「ギター侍」こと波田陽区をまねたポスターを作成。「逃げられて、残念! たまには日本人とやろうよ…斬り」との活字で亀田興毅に対戦を呼び掛けた(07年7月19日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆支援  07年7月18日の世界戦でスポンサーを務めた総合ディスカウントストア「ドン・キホーテ」。札幌の北42条店(東区北42東7)では、長さ52センチ、幅34センチの特大グローブに一般から応援メッセージを募集した。内藤の通算勝利数の31勝にちなみ「31勝応援セール」を実施。内藤のお薦めグッズを集めた減量スーツや縄跳びなど5点セットを3100円(限定100セット)で販売した。(07年7月12日付、日刊スポーツ紙面北海道版より抜粋)

◆極貧生活  初の世界戦が決まった02年3月に勤務先の自動車整備会社を退社。セレス小林とのスパーリングで得た7万円の収入で生活。07年6月まで時給900円で週5回、レンタカー店で働き、喫茶店に勤める真弓夫人と合わせた月収は約12万円(02年4月2日、07年7月18日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆グローブ  デビュー時から日本製のウイニング社のグローブを使用。大毅との世界戦は当初、ナックル部分が薄く、KO率の高いメキシコ製で両者合意も、使い慣れた日本勢を選択した。大毅はメキシコ製のレイジェス社。国内の世界戦では初めて別会社のグローブで対戦する(07年8月22日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆後押し  約300社の企業が加盟する日本ベンチャー協議会と協力関係を締結。チケット購入、ボクシング用品の援助などのサポートを受ける(07年8月30日付、日刊スポーツ紙面より抜粋)

◆宮田ジム  元日本ランカーだった宮田会長が21歳の1987年(昭和62)7月に設立した。場所は東京都葛飾区立石。世界王者は内藤が初めて。内藤を含めて日本王者過去3人、東洋太平洋王者1人。現在プロ選手は25人。内藤以外には、日本ランカー4人。一般のジム会員は約300人



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