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札幌が逆転VでJ1昇格決めた!/J2

優勝でJ1昇格を決め、選手に胴上げされる三浦監督(撮影・黒川智章)
優勝でJ1昇格を決め、選手に胴上げされる三浦監督(撮影・黒川智章)

<J2:札幌2-1水戸>◇第52節◇1日◇札幌ドーム

 長く苦しんだ分だけ、喜びは大きかった。最後の最後に、最高のフィナーレが待っていた。コンサドーレ札幌が水戸に2-1で逆転勝ちし、勝ち点91でJ2優勝を果たすとともに、6季ぶりのJ1復帰を決めた。就任1年目の三浦俊也監督(44)は、堅守を武器としたカウンターサッカーを徹底。開幕から一貫した姿勢で、険しい道のりを走りきった。

 ときには少年のように跳びはねて喜んだ。ときには怒鳴ってベンチを殴ったことも。すべての喜怒哀楽は、この瞬間のためだった。

 苦楽をともにした選手たちの手で、三浦監督が3度宙を舞った。選手に埋もれそうな小柄な体は、思い切り高く放り上げられた。「ホームで昇格できたのがうれしく思う。今日は北海道のみなさん、サポーターのみなさんと、思いっきり喜びを分かち合いたい」。6年ぶりのJ1復帰、J2制覇。頂点に立った者だけが味わえる感動に酔いしれた。

 先月11日の鳥栖戦、18日の京都戦、そして他力だった25日の第51節。3度の足踏みがあった。この日も前半11分に先制点を献上。最後の最後まで苦しんだ。だが一丸となったチームはがけっぷちで踏みとどまった。エースと期待し、決められない時も起用し続けたダビの2発での逆転勝利。「うまい形で締めてくれた」。涙はない。次々と抱きついてくる選手、スタッフ、関係者に笑顔で向き合った。

 クラブからの複数年契約の打診を拒否し、1年と期限を切って監督を引き受けた。今年1年に勝負を懸ける。そう決意していた。「監督というのは結果を残さないと一流にはなれない」。J2のクラブは、育てた若手が強豪クラブに引き抜かれていくのが常。それも心得ていた。時間をかけるつもりはなかった。

 だから、妥協は許さなかった。「行くときは家族と一緒と決めていた」と周囲の単身赴任案を一蹴したのもその1つ。親交のある元札幌監督の岡田氏から「単身だと夜の誘いも多いし、気軽に外も歩けない」と聞いていた。家庭と北海道に移り住んだのは、サッカーに集中するためだった。

 もともとぜんそく持ちで体が弱く、小学4年生のころは年に3度も入院。翌春には養護学級入りを勧められたほどだった。今季も夏場には疲労で体調を崩した。だが、恵子夫人の支えもあり、練習に姿を見せない日は1日もなかった。それも、だれよりも早く練習場にいた。家族のバックアップは、昇格への大きな力だった。

 ピッチでは04年に大宮をJ1へ昇格させた経験をフルに生かした。「レアルやバルサのようなサッカーはできない。昇格するにはこれしかない」と堅守を武器としたカウンターサッカーを徹底。2月のキャンプではフィジカル強化よりも戦術の浸透に時間を割いた。「練習が厳しければいいというものではない。日本人はそれを美徳とするところがあるけど、勝たないと意味がない」。開幕ダッシュの成功は、決断が正しかったことを証明していた。

 危機は8月だ。メーンスポンサーである石屋製菓の不祥事が発覚。ピッチ外の雑音に悩まされた直後には、自慢の守備陣にほころびが生じ、8月30日には最下位の水戸に敗れる波乱もあった。そこから4試合勝ち星に見放された。

 珍しく弱音を吐いた。小学校時代からの恩師・川尻政勝氏(63)に電話し、「選手が自信を失ってしまっているんです」と打ち明けた。だが返ってきた言葉に勇気づけられた。「今までやってきたことは間違っていない。すぐに(低迷を)抜け出すはずだ」。信じる道が正しいと実感できた。信念を貫く覚悟をもらった。以降、恩師に悩みを漏らすことは1度もなかった。

 札幌監督就任を決断した理由は「熱狂的なサポーターがいたから」だという。その大きな援軍に後押しされ続けた1年。「縁のないところにやってきて、1年で昇格なんて。こんなにうまくいっていいのかな」。真っ赤に染まったスタンドを見回すと、涙を流し、抱き合うサポーターの姿が見えた。それが、一番うれしかった。【本間翼】

[2007年12月2日9時32分 紙面から]

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