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粗末経営が岡田氏監督就任で大変化/連載

- 00年10月21日、J2優勝を決め喜ぶ岡田氏(共同)
<連載・J1定着へ~復帰までの明と暗~(4)>
経営と呼ぶにはあまりにもお粗末な面が多かった札幌だったが、1人の男がやって来たことで、変化を遂げていった。99年、98年W杯で日本代表監督を務めた岡田武史氏を、監督に招聘(しょうへい)した。1年目こそJ2で5位に終わったが、00年にJ2優勝、01年もJ1残留を果たした。そんな結果以上に、クラブを大きく変える役割を担ったのは岡田氏だった。
当時のクラブは、J1昇格という目標に社員すべてが一丸となっているとはいえなかった。私利私欲に走るような者もいるなど、マイナス面が多かった。そんな体制からの脱却を、岡田氏は目指した。00年にはチーム統括部を新設し、小山哲司氏を招き入れ、しっかりとしたフロントを築いた。クラブ内で疑問に思ったことなどは、直接異を唱えることも少なくなかった。小山氏は「このままでは駄目だと当時の社長に訴えたりした。そうすることでクラブを良くしていこうという思いだった」と振り返った。
会社内の体制だけではない。チームづくりの面でも、現状を見据えたものに変えていった。99年に8億2500万円だったトップチーム費は、2年目のJ2となる00年は1億円以上減額。クラブレベルに合わせた選手補強にも取り組んだ。結果、00年度は7500万円あまりながら、96年のクラブ創設から初めてとなる単年度黒字を計上した。J1で戦った01年度は、1億5000万円を超える黒字になった。当時から強化に携わっている三上大勝現強化部長が「現実路線だった」というチームづくりで、やっていけることは証明されていった。
創設当初、方向性どころか、今何をすべきかの判断がつきかねていたクラブは、岡田氏とともに変わっていった。J1で結果も残し、クラブは成功へ向け、軌道に乗ってきたかにみえた。01年シーズン終了後、岡田氏が退任するまでは、だれもがそう感じていた。【札幌取材班】
[2008年1月25日9時19分 紙面から]
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