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岡田監督の引き留め失敗…再び迷走/連載

02年に札幌を率いた柱谷氏(右)は、7試合を終え解任された
02年に札幌を率いた柱谷氏(右)は、7試合を終え解任された

<連載・J1定着へ~復帰までの明と暗~(5)>

 歯車が再び狂い始めたのは01年冬、99年から指揮を執る岡田監督の引き留めに失敗してからだった。

 クラブは後任選びに着手。国際Aマッチ72試合出場の経験があり「闘将」と呼ばれた柱谷哲二氏を招いた。しかし、オファーを出したのはS級ライセンス取得前。もちろん指導経験はない。当時副社長だった石水勲取締役は「フレッシュさとガッツがあった。ネームバリューもあったし」と振り返ったが、この監督人事が迷走の始まりだった。

 複数の主力選手がチームを離れた。01年の2トップのウィル、播戸が抜け、主将のMF野々村は戦力外通告、ベテランDF名塚も引退した。01年11位でJ1残留した戦力よりレベルダウンしたチームは02年、開幕3連敗スタート。その後もW杯による中断期間まで1勝6敗と低迷し、6月に柱谷監督は解任された。

 この年、チームは00年のエメルソンや01年ウィルのような突出した個の力ではなく、総合力で勝負しようとした。当時強化担当だった三上大勝強化部長は「外国人はふたを開けてみないと分からない。周りを生かせる外国人を、という判断だった」と説明する。しかしDFマクサンドロとFWロブソンは、柱谷監督にすぐに見切られた。サテライトなどで結果を出しても評価されなかった。岡田色からの急激な路線変更は、組織としてまとまった結論ではなかった。

 「岡田バブル」を味わったクラブの危機感は薄かった。00年、01年と黒字決算。02年は約20人いた社員が、午前9時30分の始業時間に5人しか集まらないときもあった。ホームゲームでも前泊するなど、チームにも甘かった。監督人事は迷走し、シーズン途中の補強を繰り返した。J1最下位に終わったこの年は、3年ぶりに8700万円の赤字を計上。「結局は岡田頼みだったのか」。周囲の声は手厳しかった。【札幌取材班】

[2008年1月26日9時13分 紙面から]

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